えすみんの日記

1000人以上の面談やガイダンスなどキャリアコンサルタントとして働きながら日々の気づきや思うことを書いています。

710日目:本読みは好きだけど国語が嫌になる理由

こんにちは

えすみんです。

 

学生時代から

ずっと疑問に思っていたことで

「やっぱり」と思った話です。

 

先日、和田裕美さんのメルマガで

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和田裕美の無料メールマガジン「週刊ワダビジョン」

 

和田さんの小説を

高校受験の国語の入試問題へ

掲載許可を求める文書が届いたと言う内容だったんですね。

(なんか、すごいことですよね。自分のことのように嬉しい。笑)

 

問題は、一節を抜き出して

その文中から問題を作られていたそうで

その問題をメルマガでは

いくつか紹介されていました。

 

そこでね、思い出したんです。

 

よく、国語のテスト問題に

「文中から、作者のその時の想いを抜き出しなさい」

とか

「この作品に対して作者の想いが伝わる部分を文中から抜き出しなさい」

とかがあったことを。

 

文中に出てくる主人公の想いなら

まだ問題として分かるのですが

作者と言われると

当時、どうしても悩んでしまう自分がいたんです。

 

だって、芥川龍之介とか夏目漱石とか

もうすでにいない作者の気持ちって

答えって本当なの?って思っていたので。

 

自分はひねくれているんだろうなーと

ずっと思っていたんですが

 

メルマガでの和田さんが

ちょっとスカッとすることを書かれていたんです。

 

この「タカラモノ」はフィクションだけど

和田さんの生い立ちが題材になっていて

主人公は和田さん自身がベースになっています。

 

そこに、問題として

主人公が変わったのはいつですか?

というのがあって

その答え、和田さん自身分かんないかもです

と書かれていたんです。

 

実際はネタなのかもしれないのですが…

でも、やっぱり作家自身でも

そういう問題の問い方って

おや?と思うのではないかなと思いました。

 

国語の授業って

書かれている文を深堀して

この表現がここに繋がっている…

というような考察をしながら

文学を見ていくものだと思いますが

小難しく考えすぎて

文を読むのが窮屈に感じるなと思ってしまいます。

 

考察するのは大事なことですし

必要なことだとは思いますが

あまりにも授業は

そんなことばかりだったので

一時、本を読むのが

嫌になったこともありました。

 

日本人の本離れする要因は

こんなところにも

あるんじゃないのかなーと思うのは

わたしだけでしょうか^^;

 

気持ちや想いって

その時の感情だし

本当のところなんて分からないので

事実はどうか分からないのだと思うのですが

 

でも、国語の問題としては

文章だけを拾って見た時に

この表現がそう表されるのだと

解釈していけばいいのでしょう。

ひねくれて考えてはいけませんね^^;

 

  

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